孤独好きは死ねば究極の孤独が手に入るかも
人は歳を重ねるとさまざまなことに慣れる。慣れは年齢だけに限ったことではなく、年齢を乗せる時間そのものの中に存在している。そして自身を客観視する視線を養うのはその時間の中で出会う人々の存在が大きい。
1人でいることが好きだという人は、なんで1人が好きかを考えてみるといい。他人がいるからこそそれが多数いる状況と孤独とを比較し、「1人が好き」と思うのだ。そもそも他人というものが存在しなければ孤独というものは存在しない。
ではなぜ孤独が一般的な思想では「かわいそうである」といった解釈になるのか。それは親の存在、しいては生命の根源に答えが隠れているように思われる。人は常に何かに囲繞(いじょう)されて生きている。囲繞はiPhoneの辞書によると「周りをとりかこんでいること」だそうだ。空気だって、生死だって、気温だってなんだって我々の周りを取り囲んでいることは明らかだ。そして命ある限り、ご先祖さまからのリレーはずっと続いているのだ。
本当に孤独になりたければ、先祖代々受け継いできた命を絶つほかないのかもしれない、なんていう極端な考えでも話を発展できるがここはあえて近くとも遠からずの話にしたい。
孤独が悲しい事象である答えは生きているからにほかならない。筆者が孤独を感じているわけではないのだが、孤独について考えていたらネズミに話しかける獄中の牢人を思い浮かべた。
そしてSNSに張り付いて離れられない人もまた、獄中の牢人のような環境に囲繞されているような気がした。
海外旅行に行く前に毎回やってること
決まったことをする習慣やゲン担ぎ的なものはない。
ただなんとなく実家に帰ることが多いことくらいか。できればらーめん二郎の北品川店でヤサイマシニンニクをコールしてから出発の日を迎えたいくらいである。
今回の旅程はまるでノープラン。8日間滞在で初めの4日間しか宿が決まっていない。あれやこれやとLCCで別の国に行くことが多かったが、実は時間が結構とられるので、今回は初の楽しみをショッピングにしてみようかなと思っているところだ。
普段使っているイヤホンがいつも旅行のタイミングでなぜか壊れるのだが、今回は最近無くしたばかりなので新品のため安心だ。
靴は向こうで捨てて新しい靴を買う機会が多いが、今回は新たに買い足すだけになるかもしれない。ランニングシューズの耐久性はスニーカーを超える。
今回はどうしてもブーツがほしいのだが、2〜3万は超えそうなので現地で買うことをやめてしまいそうだ。
なぜそういう頭になるかと言えば、ほとんどの商品は日本でも探せばあるんじゃないかと思ってしまうことに原因がある。わざわざ荷物の量増やしてまでして日本にもあるものを買うのもどうなのかなと。
今回はペーパークラフトの商品などを取り扱う店などにも足を運びたい。おみやげを渡す人が実はいなくて親に買うくらいなので、実家に彩りを与えるおしゃれなテーブルクロスなんかでもよいかもしれない。機能性の高いものは日本で買うほうがよいとも思うので重要なのはデザイン。
どうにかしてリフレッシュしたいものである。海外で健康的な食事を出すお店を探すというのも楽しいかもしれない。
まずは溜まっていく一方である仕事のカタをたくさんつけなければならない。
(´・ω・`)
スマホ使用者が混んだ電車に乗ると、はっ倒したくなる
スマホ歩きで線路転落の末、死に至ったという悲惨なニュースが先日報じられた。
危険行為なので無論やめてほしいものだ。
スマホを見ながら電車に乗る人のことについて今回は書きたい。
平日の昼間、それほど混んでいないが立っている人が少しいる山手線。
ドア付近の客によく見られる非常に気分の悪い光景がある。それはスマホに集中しすぎて、周りとの距離感を計らないアホな人の存在だ。ドアのほうにいるからドアホとする。
このドアホ、何が気持ち悪いって、それなりに空いているスペースがあるのに周りを見ないから他社の真隣、真ん前、真後ろと近くに立ち止まることが多いのだ。またもう少しドアの近くに立つならいいのに半端な位置に立つことで周りの乗客の動線を阻害するといった具合に迷惑なスタンドプレイを見せるのだ。ディフェンスやりたいなら他の場所に行ってほしい。
ドアホなだけあって停車時、ほかの乗客が入ってくる際にも道を譲らない、もしくは気づかない。さらにイヤホンをしているとまたこれも厄介な存在だ。
一言でいうと「邪魔」
二言でいうと「邪魔だ、ドアホ」と罵りたくなるレベルでパーソナルスペースを侵害してくる。
スマホの大画面化が進んでこの現象が顕著になったので、今後もこの悩みが解消されることはなさそうだ。
悲しい。
口には出せない残念な子供への親心
親は子供が愛おしいものだ。ときにのび太くんのママのようにガミガミと叱りつけることも数多くあるが、それは愛情ゆえに起こる自然現象だと思う。
体育会系の部活動などの経験者ならわかると思うが「怒られなくなったらおしまい」的な考え方がある。これは怒る場合はまだ見込みがあるからそうするのであって、もしもう伸び代がないと判断したら怒る怒られるの関係すらも絶たれるというものだ。
親は子供の成長に何を期待するか、その度合いによって、期待が高ければ高いほど我が子の能力に落胆することも多くなりそうだ。例えば小学生の子供が小学校のサッカークラブに入ったとする。サッカーブームでサッカー選手に憧れる男の子が数多く在籍するチームで、2軍ないし補欠の補欠に選ばれたとする。選ばれたというより1軍から排除されたというだけの話なのだが。
向き不向きというより興味のあるなしが大きいと思うが、筆者の場合はとにかく興味がないまま惰性でサッカーに憧れていた。子供心の難しいバランスがそこにあると考えているが、憧れはあっても興味はないのだ。よく練習は休んだし、練習終わりの10分間走が嫌いで仕方なく、仮病を使った。
辞めるの?と聞かれたら辞めない!と答えるし、練習は?と聞かれたら調子悪い。とんでもないわがまま放題だが、そもそもなんでこんなことをする子供になってしまったのだろうか。
幼少期、何にしても自分が何をしていいのかを理解しないまま毎日を過ごすことが多かった。目的とか目標、夢、ゴールというものが一切なかったことが大きな原因だ。父親にはよく言われた。幼稚園のころに言っていた「光GENJIになりたい」とか「ロボットになりたい」を小学生時代、ことあるごとに連呼されたのだ。
それが嫌だったかと聞かれたら嫌だったかのだろう。そのときから自分は「憧れを持ち、語ることはバカにされることなんだろう」と曲解して生きることになった。現時点で親のせいにしているあたり、間違いなくそうなんだろう。
そして母親からしたら、能力の低い子供がいていたたまれない気持ちになることもあっただろうし、いくら言っても言うこと聞かないという気持ちでいることも多かっただろう。なぜそういう子供になったかといえば、遺伝的なふさぎ込む性格とゴールのない日々、何かねだれば「来年」とだけ言われた。悲しかったんだと思う。その結果、プレゼントをもらっても申し訳ないという気持ちが強く、心から人に感謝を伝えることができなくなった。その結果、引っ込み思案は加速し、たまに自分の意見を伝えなければならないときにどうしても極端な物言いになり、失礼な発言を平気でするような10代後半以降の日々を送るようになる。端的に言えば言い訳がましい男だ。それは母親のせいにしているこの書きぶりからもわかるだろう。
私には子供がいないが、間違いなく子供は親をよく見ている。聖人君子の親になんて恵まれることはないが、せめて分け隔てなく、腹を割って話せる日がくるよう結果を見据えて、死ぬまで子供と接したほうがよいのかもしれない。そんな日がくるのなら、子供の自由は自分のためでもあると思えるのである。
そういや、いつかもこんな雨だった
今週のお題「梅雨の風景」
タイトルはamazarashiの「雨男」という曲の一節である。雨の描写には匂いが宿り、匂いには記憶を呼び覚ます力が溢れている。雨にまつわる曲は名曲が多い。例えばKidori Kidoriの「![雨だれ]」、cocco「Raining」、WANIMA「雨上がり」、X JAPAN「Endless Rain」などはタイトルの通り。バンプの「天体観測」もどしゃ降りの雨に打たれのくだりは非常にエモーショナルな恋愛感情が湧き上がるものです。
雨、梅雨、鎌倉、紫陽花と連想することもあるが、どことなく切ない気持ちになることが多い。そして雨上がりには虹がかかることもあり、止まない雨も存在しないので、ある意味悲しみには必ず終わりがあるという暗示にも受け取れる。雨の音を聞いて何を思い浮かべるか、考えてみてほしい。
雨が降っていた日を思い出してみたら、まだ自分が小さかった頃、雨の日にお昼寝を家でしていて、夕方に目を覚ますと、母親が台所で餃子を包んでいる風景が浮かんだ。なんともゆったりした時間が流れていて、あのときの心地よさ、まどろみはもう体験できないとすら思うと物悲しくなる。
いつか自分に子供ができたらそんな時間が蘇るかもしれないが。
幼少期の雨といえば、カッパを着て、傘を差して、近所を一人で歩いた記憶もある。当時から虫は苦手だったのでかたつむりをみたら気持ち悪いなあと思っていた。そして雨の日でも工事現場では作業が進んでいて、交通整理のおばちゃんは気さくに話してくれた。なんでこんな話になったかはわからないが、「口がお腹の位置にあったらご飯食べやすいのにね」とおばちゃんが言っていた気がする。そして別のおじさん工事作業員は、空き地にあった野菜の無人販売の近くで交通整理をしていて、工事最後の日に無人販売のお金を回収しにきた農家の人に「いつも美味しい野菜をありがとうございました」と声かけしていた。大人の会話ってなんかいいなと子供心に思ったものだ。
雨とは話が逸れるが、労働者といえば私の頭には父の姿が浮かぶ。工場勤務だったこともあり、手は黒ずんでいた。私は特別それに対して恥ずかしいとおもったこともなかったが、尊敬することもなかった。
あるとき、橋田壽賀子先生が極楽加藤に向かって、「あんたみたいな綺麗な手は好きじゃない。私は油にまみれたり、酷使した“働き者の手”が好きだ」と話していた。個人的にはその言葉がまるっきし父の姿と重なった。働き者の手が好きだというのはとてもよい物事の捉え方だなー。
父ついでに雨の話を重ねると台風直撃したある日の夏、小学校までずぶ濡れになって迎えに来てくれた父の姿を思い出した。やはり愛情は常に受けていたんだなと思うと感慨深い。
未だ恩返しができていないので、心配かけないように頑張って過ごしたいものだ。
今日も今日とて、また雨ですわ。
innovator 78l Back pack duffle carry
これまでドイターのエアーコンタクトを愛用していたが毎回肩が痛いのと、電車の中に置いたときに腰回りのベルトが邪魔でもう7年近く使ったしお役御免かなということで新たに買った。
今回はすごいよ。
リュック、ダッフルバッグ、キャリーの機能が付いている。
リュック機能はスーツケースでいうおもて面に肩にかけるベルトが付いている。
なので、開けようとするときに右肩にかかる部分が少しばかり邪魔だが、どうてことはない。
サイズは国際線預け荷物に多い152だか153cmを下回る、38×33×66.5cmのトータル137.5cm。最大で78lになる大きさだ。
素材はターポリンで少しくらいの雨は弾くだろうがチャックは防水ではないと思われるので注意が必要。
ダブルジップで、ちゃんと施錠用の穴が開いている。ここで間違っても黄色い部分に鍵をかけてはいけない。ポテチ開きと呼ばれる方法で簡単に中身に手が届いてしまうからだ。
まあこの形のジッパーでも開けようと思えば開いてしまうだろうが一応雨除けのために蓋がジップを隠すような作りにはなっている。
届いた時点ではそれぞれのパーツにしっかり包装紙が張られていた。北欧は仕事が細かいというか、中国産ながらこだわりが感じられた。
キャリーの部分は176cmの私はちょうどよい2段階だった。180cm超える人は少し短いかもね。
肝心の色が、黒赤、黒黒、灰黄、白黒、水黄とあったが、在庫はこの灰黄と白黒しかなかった。普通なら白黒のほうがおしゃれなんだが、街を歩く際にあまり目立つのもよくない。ましてや新品の白なんてものは襲われやすいだけな気がしたのでやむなく灰黄に。工事現場らしさはないがどことなく作業着らしい雰囲気。重さは3.??kgとあまり気にならない重さだ。なんたって普通のスーツケースでこのサイズだと、重さは同じでも60lになる場合が多い上に大半が4kgを超えるからだ。
レビューを見ると縦で自立しないと文句を書いている人がいたが、これを自立させる作りにするとリュックにしたときに腰に硬い素材が当たることだろう。
なんだかよい買い物をした気分だ。昔々、バックパックを探している頃にキャリー付きのものがあったが、それはリュックメインのキャリー付きという代物で、とてもじゃないが不便そうだった。
今回はキャリーメインのリュックおまけなので、気分的になぜか楽だ。
中身スカスカで旅立って、たくさんの洗剤を買って帰るのとを夢見て、仕事に明け暮れることにしよう。
(´・ω・`)
イギリスでSIMカードを買った思い出
最新情報が欲しい人にはなんら役に立たないであろう思い出話。
2010年にイギリスに行った際、私は当時docomoのガラケーSHシリーズを使用していた。パケット通信なんて恐ろしくてできたものではなかった。電話機能に関しては着信でさえ通話料が加算されるという点は今も変わらないのかもしれないが、とにかくあのとき、ブライトンにいる私に電話をかけてきた佐川急便を忘れはしない。電話に出なければよいのだが、うっかり出てしまったから1000円近く取られたのではないだろうか。
さて、海外での携帯電話事情だが、少し話を戻そう。2004年に初渡英した際にはauのケータイにグローバルパスポートなる最もらしい名前の機能があり、対応している端末は発着信ができた。当時、CASIOのエクシリムケータイを愛用していた私は300万画素のカメラ機能をいたく気に入っていた。つまり、電話機能なんてものはなくてもなんとかなっている時代だった。旅行中にネットカフェに入り、日本語フォントが表示されないパソコンに当たっては、四角いマス目だけになったmixiの画面を勘と記憶を頼りに開いて英語で日記を更新したものだ。
そもそもログインのときにメアドを入力するのだが、海外のキーボードはアットマークがJIS配列とは違い、上部テンキーの1のシフト入力で出てくるという仕様なのだ。今では当たり前のように思うことも、当時はえらく驚いたものだ。
2008年にヨーロッパ周遊をした際には、成田空港でノキアの携帯電話を借りた。確か画面は256色くらいはあったと記憶している。ボーリングのゲームがあり、それにハマっていたのと、国境を越えるたびに入るSMSの着信音が俗に言うノキアトーンで、すっかり自分は外国にいるのだなあという思いになったものだ。
通話料は返却時に通話時間カウンターを見て清算するという雑な方式だった記憶があり、SMSももれなくお金を取られるだろうと踏んでいたのだが、実際にはSMSで別途料金がかかることはなかった。
2010年は初代iPod touchを持っていったが、動作が重くてまるで使い物にならなかった。2010年10月に私はiPhone 4を入手し、ネット依存に拍車をかけることとなった。そして翌年、iPad 2が発売され、発売日にtwitterで盛り上がりを見せる購入列の様子にいてもたってもいられなくなり、地方の電気屋にカブで向かった。数人が並んでいるだけで全く問題なく購入することができた。東京だけだよ、徹夜なんてするのは。
2011年のヨーロッパ旅行ではiPhone 4とiPad 2を活用した。iPhoneはソフトバンクのキャリアロックがかかっていたが、GeveyのTurbo SIMというSIM下駄、つまりSIMロック解除アダプタによってSIMフリー化させることに成功したのだった。ヤフオクで事前購入したSIM下駄は動作せず、イギリスで通販購入したものは動作した。当時はiOS4.3.3という神がかった便利OSがあり、脱獄ライフを楽しんでいた。
イギリスで便利なキャリアはT-Mobileだ。今はEEという名前。電波強度的にはO2がよくて、T-Mobileは少し弱いが、Threeよりはマシだろうという判断もあった。3Gしか当時はなかったのでは特に不便を感じることもなく、、というのは嘘で、orangeの電波を掴むと電波表示が◯(まる)になってしまうとGSM、つまり2Gになるので極端に回線が弱くなった。それでもグーグルマップは使えたし、15ポンドもしないで3週間は悠々使えた。
2013年には初めて、金の力にものを言わせて、ソフトバンクのローミングを何日か使用した。普段メインで使っている端末なだけに、使い勝手はすこぶるよかったが、やはり金額は高くついた。当時はiPhone 5。
2013年、ベルギー滞在時にプリペイドSIMを購入した。BASEというキャリアだ。docomo版Galaxy S3αをSIMフリー化したが、docomoでのSIMロック解除はテザリングのみ制限がかかったままだった。仕方なくAndroidでグーグルマップを開いたところ、数分でデータを受信しなくなった。上限に達したらしい。
2014年にイギリスに行った際にはThreeの店舗に足を運び、4Gルーターを購入。1万5000円くらいした記憶があるが、パソコン、iPhoneが快適に使えたのでなんら問題はなかった。180日使用がないと使えなくなるのか、またトップアップができるのかはわからない。
とりあえず、空港に着いた瞬間から使いたいので、事前にオンライントップアップができるのであればよいのだが。
一番楽しかった時代は2011年だ。爪切りを使ってSIMカードを加工し、いくつかの方法でSIMロックを、解除する。そんなワクワク感が今のiPhoneにはないのだ。
というのも、テザリングができても月に使えるデータ容量が決まっているため、それが気にくわない。3G回線の時代に脱獄したiPhoneでテザリング機能を開放しても、まったく追加料金がかからなかった。違法でもなかったはずだし。
そんなわけで、今度はSIMフリーのiPhoneを買えば全てが解決すると踏んでいる。電話はiPhoneでしないでガラケーがいいかもね。