口には出せない残念な子供への親心

親は子供が愛おしいものだ。ときにのび太くんのママのようにガミガミと叱りつけることも数多くあるが、それは愛情ゆえに起こる自然現象だと思う。
体育会系の部活動などの経験者ならわかると思うが「怒られなくなったらおしまい」的な考え方がある。これは怒る場合はまだ見込みがあるからそうするのであって、もしもう伸び代がないと判断したら怒る怒られるの関係すらも絶たれるというものだ。

親は子供の成長に何を期待するか、その度合いによって、期待が高ければ高いほど我が子の能力に落胆することも多くなりそうだ。例えば小学生の子供が小学校のサッカークラブに入ったとする。サッカーブームでサッカー選手に憧れる男の子が数多く在籍するチームで、2軍ないし補欠の補欠に選ばれたとする。選ばれたというより1軍から排除されたというだけの話なのだが。

向き不向きというより興味のあるなしが大きいと思うが、筆者の場合はとにかく興味がないまま惰性でサッカーに憧れていた。子供心の難しいバランスがそこにあると考えているが、憧れはあっても興味はないのだ。よく練習は休んだし、練習終わりの10分間走が嫌いで仕方なく、仮病を使った。

辞めるの?と聞かれたら辞めない!と答えるし、練習は?と聞かれたら調子悪い。とんでもないわがまま放題だが、そもそもなんでこんなことをする子供になってしまったのだろうか。

幼少期、何にしても自分が何をしていいのかを理解しないまま毎日を過ごすことが多かった。目的とか目標、夢、ゴールというものが一切なかったことが大きな原因だ。父親にはよく言われた。幼稚園のころに言っていた「光GENJIになりたい」とか「ロボットになりたい」を小学生時代、ことあるごとに連呼されたのだ。

それが嫌だったかと聞かれたら嫌だったかのだろう。そのときから自分は「憧れを持ち、語ることはバカにされることなんだろう」と曲解して生きることになった。現時点で親のせいにしているあたり、間違いなくそうなんだろう。

そして母親からしたら、能力の低い子供がいていたたまれない気持ちになることもあっただろうし、いくら言っても言うこと聞かないという気持ちでいることも多かっただろう。なぜそういう子供になったかといえば、遺伝的なふさぎ込む性格とゴールのない日々、何かねだれば「来年」とだけ言われた。悲しかったんだと思う。その結果、プレゼントをもらっても申し訳ないという気持ちが強く、心から人に感謝を伝えることができなくなった。その結果、引っ込み思案は加速し、たまに自分の意見を伝えなければならないときにどうしても極端な物言いになり、失礼な発言を平気でするような10代後半以降の日々を送るようになる。端的に言えば言い訳がましい男だ。それは母親のせいにしているこの書きぶりからもわかるだろう。

私には子供がいないが、間違いなく子供は親をよく見ている。聖人君子の親になんて恵まれることはないが、せめて分け隔てなく、腹を割って話せる日がくるよう結果を見据えて、死ぬまで子供と接したほうがよいのかもしれない。そんな日がくるのなら、子供の自由は自分のためでもあると思えるのである。