そういや、いつかもこんな雨だった

今週のお題「梅雨の風景」

タイトルはamazarashiの「雨男」という曲の一節である。雨の描写には匂いが宿り、匂いには記憶を呼び覚ます力が溢れている。雨にまつわる曲は名曲が多い。例えばKidori Kidoriの「![雨だれ]」、cocco「Raining」、WANIMA「雨上がり」、X JAPAN「Endless Rain」などはタイトルの通り。バンプの「天体観測」もどしゃ降りの雨に打たれのくだりは非常にエモーショナルな恋愛感情が湧き上がるものです。
雨、梅雨、鎌倉、紫陽花と連想することもあるが、どことなく切ない気持ちになることが多い。そして雨上がりには虹がかかることもあり、止まない雨も存在しないので、ある意味悲しみには必ず終わりがあるという暗示にも受け取れる。雨の音を聞いて何を思い浮かべるか、考えてみてほしい。

雨が降っていた日を思い出してみたら、まだ自分が小さかった頃、雨の日にお昼寝を家でしていて、夕方に目を覚ますと、母親が台所で餃子を包んでいる風景が浮かんだ。なんともゆったりした時間が流れていて、あのときの心地よさ、まどろみはもう体験できないとすら思うと物悲しくなる。

いつか自分に子供ができたらそんな時間が蘇るかもしれないが。
幼少期の雨といえば、カッパを着て、傘を差して、近所を一人で歩いた記憶もある。当時から虫は苦手だったのでかたつむりをみたら気持ち悪いなあと思っていた。そして雨の日でも工事現場では作業が進んでいて、交通整理のおばちゃんは気さくに話してくれた。なんでこんな話になったかはわからないが、「口がお腹の位置にあったらご飯食べやすいのにね」とおばちゃんが言っていた気がする。そして別のおじさん工事作業員は、空き地にあった野菜の無人販売の近くで交通整理をしていて、工事最後の日に無人販売のお金を回収しにきた農家の人に「いつも美味しい野菜をありがとうございました」と声かけしていた。大人の会話ってなんかいいなと子供心に思ったものだ。

雨とは話が逸れるが、労働者といえば私の頭には父の姿が浮かぶ。工場勤務だったこともあり、手は黒ずんでいた。私は特別それに対して恥ずかしいとおもったこともなかったが、尊敬することもなかった。

あるとき、橋田壽賀子先生が極楽加藤に向かって、「あんたみたいな綺麗な手は好きじゃない。私は油にまみれたり、酷使した“働き者の手”が好きだ」と話していた。個人的にはその言葉がまるっきし父の姿と重なった。働き者の手が好きだというのはとてもよい物事の捉え方だなー。

父ついでに雨の話を重ねると台風直撃したある日の夏、小学校までずぶ濡れになって迎えに来てくれた父の姿を思い出した。やはり愛情は常に受けていたんだなと思うと感慨深い。

未だ恩返しができていないので、心配かけないように頑張って過ごしたいものだ。


今日も今日とて、また雨ですわ。